アイドルは、選ばれたあとも選ばれ続ける

最近、妻が家事をしながら、よく同じ曲を口ずさんでいる。

洗濯物を畳みながら。食器を洗いながら。子どもたちが散らかしたものを片づけながら。

最初は、何か最近流行っている曲かと思っていた。

よく聞くと、「盛れミ・アモーレ」だった。

おいおい、それJuice=Juiceじゃないか。

心の中では少し立ち上がった。だが表向きは、なるべく平静を装った。

「それJuice=Juiceの曲だよね?」

昔のハロヲタが、夫婦の生活空間に急に全力で現れるのは少し恥ずかしい。別に隠していたわけではない。ただ、頼まれてもいないのに研修生時代の話や歌割りの変遷を語り始めたら、だいぶ面倒な夫である。

私は昔、ライトなハロヲタだった。

ライブに通い詰めるほどではない。けれど、新グループができれば気になったし、新曲が出れば聴いた。研修生の名前もそこそこ知っていた。

自分ではライトのつもりだったが、一般的な夫婦の会話に「研修生時代から見ていた」という情報は、そう頻繁に必要になるものではない。

Juice=Juiceが結成されたときも、かなり期待していた。

宮本佳林がいて、金澤朋子がいて、高木紗友希がいて、宮崎由加がいて、植村あかりがいた。

研修生を見ていた人間なら、「なるほど、ここを集めたか」と思ったはずだ。完成度の高いメンバーもいれば、まだ粗削りなメンバーもいる。最初から完璧に揃ったというより、これからどう化けるかまで含めて楽しみなグループだった。

とくに植村あかりは気になっていた。

初期は、今のような堂々とした姿からはまだ遠かった。正直に言えば、スキル面では大丈夫かと思う場面もあった。

でも、アイドルは完成品を眺める趣味ではない。

少し危なっかしい子が、数年後にはステージの真ん中で空気を支配している。その変化を見つけて、「あの頃から見ていたんだよな」と勝手にしみじみする。

ファンにだけ許された、かなり都合のいい親戚ポジションである。

そんな話を妻としていたとき、妻がふと聞いた。

「Juice=Juiceって、宮本佳林ちゃんのために作られたグループって本当?」

私は、思わず少し前のめりになった。

「そりゃそうだよ」

たぶん、必要以上に強い声だったと思う。

「佳林ちゃんは、研修生の中でも別格だったんだよ。歌も踊りもできて、人気もあって。いつデビューするかじゃなくて、なんでまだデビューしてないんだって言われるくらいで」

そこから私は、頼まれてもいない背景説明を始めた。

モーニング娘。などのオーディションに落ちていたこと。研修生のままでは惜しすぎる存在だったこと。Juice=Juiceができたとき、多くの人が「ようやく宮本佳林をデビューさせる器ができた」と思ったこと。

宮本佳林が中心になるのは、当時の自分には自然なことだった。

歌割りも、フォーメーションも、カメラの抜かれ方も、きっと彼女が軸になる。人気格差も出るだろう。

それでも、それでいいと思っていた。

センターに立つには華がいる。歌の中心を担うには安定感がいる。誰が歌っても同じではない。プロならなおさらだ。

実力主義なのだから、仕方ない。

昔の私は、そんなふうに思っていた。

妻は、私の説明をしばらく聞いてから言った。

「でも、それっていいの?」

私は、少し止まった。

「だって、ほかの子たちもアイドルになりたくて頑張ってきたんでしょ」

たしかにその通りだ。

研修生として残り、オーディションを受け、グループに選ばれるところまで来た。その時点で、彼女たちは十分に選ばれた人たちだったはずだ。

それなのに、いざグループに入ってみたら、最初から明らかに強い光を浴びる人がいる。

中心に立つ人がいる。

歌を任される人がいる。

逆に、誰かの個性を引き立てる役割になる人もいる。

グループの中で役割が決まり、それぞれに色がついていく。その多様さが魅力になる一方で、見方を変えれば、かなり残酷な話でもある。

才能があるから選ばれた。

でも、選ばれた先でも、さらに差を見せつけられる。

アイドルになるための試練を越えても、そこがゴールではない。

むしろ、そこからまた別の競争が始まる。

妻の言いたいことはよく分かった。

昔の自分なら「実力の世界だから」と答えて終わっていたと思う。

今でも、その考え自体を否定する気はない。

現実には能力差がある。華がある人もいる。安定して歌える人もいる。誰かを中心に置いたほうが、グループとして強くなることもある。

ただ、それで「仕方ない」と片づけるには、少しだけ想像力が足りない気がした。

中心に立つ人の物語だけ見ていると、その周りで踏ん張っている人の物語が見えなくなる。

Juice=Juiceは、最初まさに宮本佳林のためのグループに見えた。

それは否定しようがない。

けれど、結果として宮本佳林だけのグループにはならなかった。

むしろ、最初に描かれていた「宮本佳林を主役にする図面」を、ほかのメンバーがそれぞれの方法で書き換えていったように思う。

金澤朋子の声が入ると、曲の景色が変わった。

たとえば「私はローズクォーツ」という一節。あそこで曲の空気が、急に夜になる。

宮本佳林が正面から光を受ける王道のアイドルだとすれば、金澤朋子は少し斜めから入ってきて、曲の温度を変える人だった。

高木紗友希は、歌唱力という武器で自分の居場所を作った。

上手い、というだけではない。フェイクや声量で、曲の重心そのものを動かしてしまうような歌い方だった。

宮崎由加は、初期Juice=Juiceの中では少し不思議な存在だった。

歌やダンスの技術だけを競うなら、もっと分かりやすく突出したメンバーはいた。それでも彼女がいなければ、あのグループはもっと尖りすぎていたかもしれない。

「あざかわ」と呼ばれる柔らかな魅力と、誰かを包み込むようなリーダーシップ。スキルだけでは測れない形で、彼女はグループの空気を整えていた。

植村あかりは、まさに成長そのものが物語になった。

最初は心配する。大丈夫かなと思う。だが、立ち姿が変わり、表情が変わり、声が変わり、いつの間にか「大丈夫かな」と思っていた側が見上げるような存在になる。

誰も添え物のままでは終わらなかった。

それがJuice=Juiceのすごさだったと思う。

もちろん、最初から全員が平等だったわけではない。

むしろ平等ではなかったからこそ、それぞれが自分の居場所をもぎ取ろうとしたのかもしれない。

その危うさが、結果として化学反応を生んだ。

そして妻がいま好きなのは、段原瑠々らしい。

「瑠々ちゃんは研修生の頃から知ってるよ」

私はまたしても、必要以上に前のめりになった。

そこからは止まらなかった。

当時から歌唱力はかなり高かったこと。どこかのグループに入ることは予想されていたこと。Juice=Juiceに加入すると聞いたときは、少し意外だったこと。

そもそも、Juice=Juiceに新メンバーを入れること自体、「ああ、そういう方向に行くんだ」と思った。

当時のJuice=Juiceは、すでに五人でかなり完成されたグループに見えていた。

そこへ新しいメンバーが入る。

歓迎する声ばかりではなかったと思う。

ファンにとっては、できあがった五人のJuice=Juiceに別の誰かが入ること自体が少し怖かった。既存メンバーだって、葛藤がなかったとは思えない。

段原瑠々は、完成された強者たちの巣に放り込まれた。

最初の彼女は、歌唱力一点突破の印象が強かった。

バスケで言えば、全体を支配するエースというより、ここで一本決めてほしい場面で高確率のスリーポイントを沈める固定砲台のような存在だった。

頼りになる。武器は明確だ。

けれど、少し見方を変えれば、既存メンバーの強さを補強する要員にも見えた。

彼女もまた、はじめは添え物になってしまう危険があった。

でも、それを実力で跳ね返した。

歌が上手いだけでは終わらなかった。

完成されたグループの中に入って、自分の居場所を作り、いまではグループの物語を先へ進める人になっている。

妻が家事をしながら口ずさむ「盛れミ・アモーレ」までつながる、いまのJuice=Juiceが新しいファンに見つかっていく流れを作った一人でもある。

アイドルの世界は、たぶん残酷だ。

グループの外では、デビューできる人とできない人が分かれる。

ようやく選ばれても、今度はグループの中で、センターになる人と、そうではない人が分かれる。

才能があっても足りない。努力しても、それだけでは届かない。

それでも、そこで終わらない人がいる。

最初は主役ではなかった人が、自分の武器を磨いて、いつの間にか誰にも代われない存在になる。

補強に見えた人が、気づけばグループの次の時代を引っ張っている。

たぶんファンは、そういう成り上がりを見ている。

最初からまぶしい人を見るのも楽しい。

でも、光の当たり方が決まっていた場所で、それをひっくり返す人を見るのは、もっと面白い。

Juice=Juiceは、宮本佳林のために作られたグループだった。

たぶん、それは本当だ。

けれど、そのために集められたメンバーたちが、それぞれ自分の物語をつくった。

だから今、妻は段原瑠々を好きになり、私は昔の話をしたくなる。

同じJuice=Juiceを見ているのに、入口はまるで違う。

妻の鼻歌を聞いていると、ときどき、その長さに少しだけ置いていかれるような気がする。

自分が夢中だった頃のJuice=Juiceは、もうそこにはいない。

宮本佳林がいて、五人で始まって、これからどこへ行くのかを皆で勝手に想像していたあの時間は、ちゃんと終わっている。

それでも、終わったからなくなったわけではないらしい。

妻が何気なく口ずさむ一曲の向こうに、あの頃の自分が見ていた景色も、少しだけ続いている。

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