父には、変な食べ方があった。
インスタントラーメンの麺を、冷たい白ご飯の上にのせて食べるのである。
スープではない。
麺である。
子どもの頃、休日の昼にはよく袋麺を食べた。
父が台所で鍋を鳴らし、テレビでは再放送らしい番組が流れている。こちらはまだパジャマのままで、空腹だけは一人前だった。
休みの日の昼に食べるインスタントラーメンには、夕飯とは別のうまさがある。
少しだらしなくて、少し自由だ。
父はラーメンを食べるとき、冷たい白ご飯を茶碗によそった。
ここまでは、よくある話である。
問題は、そのあとだった。
父は箸で麺をつかみ、そのまま冷やご飯の上にのせた。
「これがうまいんだよ」
妙に自信のある口調だった。
子どもの私も試してみた。
まずくはない。
ラーメンもご飯も、それぞれ単体では十分にうまい。合わせたからといって、重大な事故が起きるわけではない。
ただ、感動もなかった。
足し算でいえば、1+1が1.2くらいになる感じだった。
別々に食べたほうがよくないか。
なぜわざわざ、冷たいご飯の上に熱い麺を置くのか。
子ども心に、父は食卓のどこかで道を踏み外しているのではないかと思った。
成長すると、世の中には「炭水化物と炭水化物」という便利なツッコミがあることを知った。
お好み焼きでご飯を食べる。
たこ焼きをおかずにする。
焼きそばをパンに挟む。
そういう食べ物に対して、人は少し得意げに言う。
「主食と主食じゃん」
たしかに、言われてみると妙である。
主食同士が、どちらも主役を譲らないまま同席している。
ラーメンとご飯も、どう考えてもそちら側だった。
父の食べ方は、やはり少しおかしかったのだ。
子どもの頃の違和感は、世間の常識によって正式に承認された。
私はそう思っていた。
ところが大人になって、ひとりで過ごす休日の昼だった。
なんとなく袋麺を作った。
湯気の立つラーメンをテーブルに置いたところで、炊飯器に朝の残りご飯があることを思い出した。
少し冷えている。
その瞬間、父の食べ方が頭に浮かんだ。
「やってみるか」
麺を箸でつまみ、冷たいご飯の上にのせた。
食べた。
うまかった。
驚いた。
子どもの頃には1+1が1.2だったはずなのに、今はちゃんと別の食べ物になっている。
ラーメンでもない。
ご飯でもない。
父がずっと前に発見していた、名もなき裏メニューだった。
冷たいご飯でこれだけうまいのなら、ご飯も温めればさらにうまくなるのではないか。
普通に考えれば、そのほうが完成度は高そうである。
ラーメンも熱い。
ご飯も熱い。
温度の足並みもそろう。
電子レンジでご飯を温め、もう一度、麺をのせてみた。
違った。
悪くはない。
だが、違う。
理屈としては正しいはずなのに、さっきの妙な感動がない。
そこでようやく気づいた。
うまさの正体は、ラーメンとご飯が仲良くしていることではなかった。
むしろ、少し対立していることだった。
熱々の麺と、冷たいご飯。
口に入れた瞬間は、それぞれ別の温度で存在している。
けれど、噛んでいるうちにちょうどよくなる。
ラーメンの熱を、冷やご飯が少しだけ引き受ける。
全員が熱いと、ただ熱い。
冷やご飯には、ラーメンの勢いを受け止める役目があった。
温度差そのものが、味の一部になっていたのである。
すると、次の疑問が浮かんだ。
麺をご飯にのせるより、スープをご飯にかけたほうがうまいのではないか。
そちらのほうが自然に見える。
ラーメンのスープで食べるお茶漬けのようなものだ。
レンゲでスープをすくい、ご飯にかけた。
これも違った。
ただのラーメン茶漬けになった。
まずくはない。
だが、それだけだった。
1+1が、きれいに2になる。
麺をご飯にのせたときの、あの説明しづらい何かがない。
スープではだめなのだ。
麺でなければならない。
父が言っていたことの意味が、ようやくわかった。
冷たいご飯に、熱い麺。
スープは控えめに。
理屈で説明しようとすると急に弱くなるが、食べればたしかにうまい。
それが最適解だった。
後日、父に会ったとき、その話をした。
「冷たいご飯に麺をのせるやつ、うまさがわかった」
父は少しだけ目を丸くした。
それから、待ってましたと言わんばかりに笑った。
「そうなんだよ。冷たいご飯じゃないとだめなんだよな」
仲間ができた人の顔だった。
長いあいだ誰にも理解されなかった研究者が、ようやく共同研究者を見つけたようでもあった。
父は食卓の片隅で、ひっそりと独自理論を完成させていたらしい。
それ以来、私はインスタントラーメンを食べるとき、ご飯があれば用意する。
できれば、冷えたものがいい。
妻は怪訝な目で見る。
子どもたちも半信半疑で試していたが、どうもしっくりきていないようだ。
かつての私も、父を見て同じ顔をしていた。
だから、無理にわかってもらおうとは思わない。
冷たいご飯に熱い麺をのせるうまさは、説明して伝わるものではないのだ。
たぶん、ある休日の昼に、ひとりで袋麺を作ったとき、偶然たどり着く。
炊飯器に少しだけ残った、冷たいご飯を見つける。
そして迷いながら、熱い麺をのせる。
一口食べて、少し黙る。
そうしてようやく、思うのだ。
「これか」と。
父から子へ受け継がれるものには、もっと立派なものもあるだろう。
剣技とか。
魔法とか。
額に紋章が浮かぶとか。
うちの場合は、冷やご飯にラーメンの麺をのせるときの、最適な温度差がわかることだった。
どうやら私は、世界を救う側の血筋ではないらしい。

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